コーヒー1杯分の幸せを作ろう

3児の育休ママが、コーヒー1杯分の時間やお金を作るために役に立ったものたちを、挫折や試行錯誤の経験を交えながら紹介します。

子どもも自分もラクになる「どならない練習」

条件つきの愛情を息子に与え続けた結果、「親の価値観」を基準に物事を考えるようになってきてしまったので、何とか修正しようと試行錯誤しています。

勝間和代さんが有料メールマガジンで「親子の間では条件付きの愛情は関係性を損ねるという話が常に色々な育児の研究で出てきますが、親子の間だけではなく様々な人間関係において私たちが周りに愛情を示すときにはそれは常に無条件の愛情である必要があり、何かの見返りを求めた愛情であってはお互いの関係性にヒビが入ってしまうのです。」と言っている通り、条件付きの愛情は間違いなく親子関係にヒビを入れます。

条件付きの愛情とは何かと言うと、テストの点数が良かったから褒めるとか、電車の中で静かにできたから褒めるといったように、大人にとって都合の良い子だった時だけ褒めるということです。ただ、いけないことだとわかりつつも、子供に条件付きの愛情を与えてしまうことってありますよね。

私も「大人にとって都合の良い行動をしたら褒めてあげる、都合の悪いことをしたら怒る」というのを無意識に繰り返した結果、息子が私の顔色を見るようになってきてしまいました。夕食の後、食洗機の食器を片付けた上で食器を入れてくれたりと、それはそれで嬉しいし助かるのですが、どうも最近、行動のベースが「ママの喜ぶことをする」になってきてしまっている気がします。

これ、私が小さい時にしてたことと、全く同じ事しちゃってるんですよね。

親の価値観からの呪縛をやーーーっと30歳になって逃れて、絶対に子供には自分の価値観で生きてもらおうと決意したのに、また同じ呪いをかけていたとは、何とも情けないのですが・・・息子が4歳の今、気付けて良かったと思い直すことにします。

この条件付き愛情、理屈ではダメなことわかってるんですか、じゃあ実際にどうすればいいの?というところ、この本がよく書かれていました。


特に効いたテクニックは「共感した後で、じゃあ一緒にやってみよう」と提案することです。今まで一人でやらせてたのですが、うまくいくようになりました。

導入部分で、「昭和の育児では叱って育てるのが当たり前で、そうやって育ってきた親御さんたちが、今になって「褒める育児」に変わっているから、育児がものすごく難しくなってる。これは、お母さんたちのせいじゃない。環境のせいです。まずは人のせいにしましょう」ということを語ってくれているように、お母さんに寄り添っているのか救われます。

こういう育児本って実践できることは書かれていないか、相当自分に余裕がある時じゃないと実践できないことが書かれていることが多いんですが、この本は意志力ゼロでもできるようなことばかりで、育児初心者にもやさしく書かれています。

育児書って大体のパターンが①「うちの子東大に入れました」的なママ・芸能人が書いてる自慢、②専門家が書いてる「理屈は分かるけど、じゃあ実際どうすればいいの?」な専門書、③「これ、現実生活の中で取り入れるのは無理があるよね?」な実践本の3パターンだったんですが、これはどれにも当てはまりません。

育児書は散々読んだのですが、なかなかいい本に出会うことがないので、久々に自分の心を代弁してくれて、かつ少し未来を明るく照らしてしてくれるような本に出会えて嬉しいです。

お子さんを怒ってしまうことで悩んでいるお母さん、読んでみてください。

長女に「早く寝てよ」と怒ってしまった自分を振り返る

優先順位付けができていないと、自分のした行動を後悔する羽目になりますよね。

コヴィー博士の「7つの習慣」、3つ目の原則に「最優先事項を優先する」というものがあります。緊急なことについては受動的に反応するため比較的に実行しやすいのですが、「緊急ではないけれども重要なこと(第二領域)」については私たちが優先順位をつけて積極的に意識していかないと、実行することができません。

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私の場合、緊急ではないけれど重要であることの中に「子供が自分は愛されていると自信を持っている状態になっている」ことと「運動して健康になる」ことがあります。

昨晩、2歳の長女が寝た後にオキュラスクエストで運動をしたかったのですが、長女がなかなか夜寝付いてくれませんでした。そのため「もう、早く寝てよ!」とイライラしながら言い続けてしまいました。経験ある方はお分かりかと思うんですが、これやっちゃうと絶対に寝ないんですよね、子供って。

夜ふかしすればいいじゃないかという声が聞こえてきそうですが、子供達は朝5時に起きるのと、まだ生後5ヶ月の次女の夜間授乳があるので、夜22時には寝ていたいんです。そんな中、21時を過ぎても一向に長女は寝ず、一方で22時というタイムリミットが迫り、もうすごくフラストレーションが溜まってしまいました。一旦落ち着いて長女にマッサージをしてあげたり優しい言葉をかければ寝てくれたのかもしれないのですが、刺激に負けてしまい、つい怒りに任せた感情を長女にぶつけ続けてしまいました。

これ、「自分の運動」と「子供がきちんと愛されていると自信の持てる状態になっていること」の優先順位付けができていなかったんですよね。

もちろん子供が愛されている状態の方が優先順位は上に決まっているので、次からは優先順位を忘れずに過ごしたいです。「自分が何をやろうとしている時、子供に別の事を要求されてイラついてしまう」というのがいつものブチ切れパターンなので、どっちが大事なんだっけ?というのを自分に問い直してみようと思います。

他の失敗談も少しだけ。

現在のサラリーマンの状況から自営業になりたくて、副業で1円でも稼ごうといろんな仕事をやってみたのですが、もう今はきっぱりとやめました。

お金を稼ぐということはもちろん重要なのですが、やりたくもない仕事でお金を稼ぐということは自分にとって重要でないと判断したからです。
もちろん収入はなくなりましたがw、将来作家になるための準備期間として、子どもが小さい今はインプットの時期と割り切っています。

自分の弔事を書いてみませんか?

7つの習慣というベスセラー本の、第2の習慣に「終わりを思い描くところから始める」があります。

 

これは自分の葬儀の際に、愛する人達がどのように讃えて慈しんで、そして別れを惜しんでほしいかということを想像することです。

 

完訳 7つの習慣 人格主義の回復: Powerful Lessons in Personal Change

 

一時期「自分の弔辞(ちょうじ)を読む」ことが流行りましたね。昔も書いたのですが、今もう1回改めて書いてみます。

 

「彼女は母として妻として娘として、そして社会人として、それぞれの人生を照らすことのできる、暖かい光を残してくれました。

母として。子供たちが生きていく上で身につけるべき教養、家事などで日々の生活の中で細々と教えてくれて、立派に独り立ちさせることができました。また、それぞれの生まれ持った才能を生かして、得意なことを見つける手伝いもしてくれました。愛情をたくさん注いで子供を育ててくれて、子供たちが皆愛情で満たされ、「自分は生きるべき価値がある」と信じ、たとえ困難な道に入り込もうとも、その目にはいつも光が宿っていました。

妻として。時には夫のサポートに回り、いつも二人三脚で、妥協点を話し合いを重ねて見つけて行きました。意見を衝突させることもありましたが、最終的にはいつもお互いが満足し、笑顔で結論を出すことができました。細かいことも話し合いを重ねて、少しずつ認識のずれを修正していき、ふたりでひとつの大きな地図を描き、海外への移住という大航海時代も、時には荒波にまみれながら、必死でボートを漕いで乗り越えて行きました。

社会人として。女流作家として多くの人に読んでもらい、「今いる場所には、きっと出口がある」というメッセージを訴え続けることで、たとえ今は不遇な境遇にあっている人達にも、多くの励ましと勇気を与えました。特に、画家や文豪の一生を交えたエッセイは好評で、「年を重ねてももう1回読みたい本」にノミネートされました。自ら挑戦し続ける姿を子供たちや他人に示し、多くの人に活力とエネルギーを与えていました。住んでいる場所でもボランティアに精力的に参加し、より住みよいまちづくりに貢献してくれることで、地域になくてはならない存在になっていました。

彼女自身もきっと、大好きな家族や友人に囲まれて、時には趣味のダンスを頻繁にして、新しい人との出会いを重ね、本をたくさん読み、美術館や博物館に積極的に足を運び、月に1回は家族や気の置けない友人とそして一人でも旅行をして、きっと人生を楽しんでいたことと思います。住み心地の良い家には旅先で購入した思い出の品々でしつらえられており、家全体がちょっとした美術館のようになっています。きっと、幸せな人生を送ったことでしょう。また、残された我々にも、たくさんの幸せを与えてくれました。ありがとう。」

 

皆さんも弔事を書いてみてはいかがでしょうか?ブルシットジョブや主体的でない時間(スマホやアマプラや Netflix をだらだら見たり、怒りという感情に振り回されている時間)が、いかに不要なものかを思い知らされます。笑

 

 

"怒り"という名のドラゴンを飼いならす

子供のしたことに対して、つい感情的になって怒ってしまいがちです。外から与えられた刺激に対してどう反応するか、という点について、まだまだ未熟なので、特訓しています。

刺激についての反応で思い出すのは、ヴィクトール・フランクルの"夜と霧"です。
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この本の中で、「刺激に対してどう反応するかは、例えユダヤ人収容所という限りなく拘束された場所でも、自由が与えられている」と彼は言います。

一言で言ってしまうと当たり前なのですが、この考え方に至る経緯は尋常ではありません。普通の人ならば心が折れてしまうような壮絶な拷問や過酷な労働などの外からの刺激に対して、フランクルは自分の感情を冷静に対処していきます。

収容所で多い死因として、自殺があるそうです。これは家族や愛する人が亡くなったことに対して絶望したり、重労働や悪い環境に耐え兼ねて起こると言います。フランクルは妻を始めとした家族を失いますが、沈みゆく夕日を美しいと感じたり、ユーモアを忘れずに仲間と支え合ったりして、なんとか生き延びます。

私はと言うと、子供からの刺激に対して主体的になれず、イライラした時に、心の中でドラゴンが火を吹いてしまいます。子供に怒鳴ってしまったり、意地悪なことを言ったり、無理に言うことを聞かせようとしてしまうのです。

子供がしたことに対して怒りという感情が発生することを心と体で理解した上で次の行動をとるといったような、自分の中に住む「感情」というドラゴンを飼いならすため、今まさに頑張っている最中です。今のところできるのは最近やっと2割となったくらいで、残りの8割くらいはカッとなって怒ってしまって自己嫌悪…というのを繰り返しています。

例えば、ご飯の直前に子供がアイスクリーム食べようと勝手に冷蔵庫を漁っていたという事実があるとします。今までは「ご飯前におやつなんて食べないでよ!」と怒って喧嘩になったり「もー、めんどくさいから勝手に食べてて!」と言っておやつを食べさせて夜ご飯を食べてくれなかったり、失敗の連続でした。

最近になって「お腹が空いているからアイスクリームを食べようとしていたんだね、夜ご飯はまだできないから、せめて果物を食べて待っていてね」と話したり、次の日からは保育園から帰ってきたらすぐご飯を食べれる状態にしておくように改善されてきました。

過去の言動は、刺激に主体性を取られてしまったり、子供に主体性を渡してしまった所以だったんですね。自分の感情に対しての主体性を発揮できるように、日々前進していきたいです。

ちなみにヴィクトール·フランクルの"夜と霧"は人生で絶対に読むべき一冊リストの中に入っているので、もしまだ読んでない方いらしたら、是非読んで下さい。

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仕上げ磨きのストレスをなくす方法

毎晩、子供に仕上げ磨きをしてげることが、ストレスでした。

「母親は仕上げ磨きをきちんとしてあげて、虫歯を作ってはいけない」と思ってやってきたのですが、夜は疲れてるし、子供達も時には歯を磨きたがらない時もあり、ストレスでした。

何が嫌なんだろう、と自己欺瞞に向き合ってみたら「子供達の歯がきちんときれいになっているかを気にしながら、歯を磨かなくてはならない」ということが原因だということに気づきました。

そこで、電動歯ブラシを購入しました。
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今は子供たちもこれで自分で磨いていますし、私もこれで仕上げ磨きをしてあげています。すると、「きちんと磨かなくては」という意思能力を使わずに仕上げ磨きができるようになったので、だいぶ楽になりました。

赤ちゃん専門店で電動歯ブラシを見ると一つ3000円で、高いなーーーと思って嫌だったのですが、アマゾンで探すと替えブラシも入れてだいたい一つ1000円くらいで済むし、気に入らなかったら最悪返品ができるので、こちらで購入しました。ちなみにこの製品、薬局を始めとした赤ちゃん専門店で見つからないです。広告とかもしてないですし、人気キャラクターとのタイアップもしてません。でも機能は全く問題ないですし、子供達が自分の好きなシールを柄の部分に貼ることができるので、かえってキャラクターが付いてなくて良かったかも。シールは剥がして、また別の貼ることもできますしね。

自分で電動歯ブラシできれいに磨けるようになれば、仕上げ磨きに対してもそんなに頑張らなくていいので、気が楽になりました。子供達も電動歯ブラシを面白がってるし、お互いウィン・ウィンかなと思っています。

仕上げ磨きに疲れてしまっている親御さん、是非試してみてくださいね。

好きではない公園

個人的に好きではない公園があって、息子がその公園(H公園)を気に入っています。

H公園へは保育園のお迎え後や土日も合わせて、週に3回ほど訪れています。そこは雰囲気が暗く、行くことを考えるだけで気が滅入ってしまいます。何より、行き過ぎて飽きています、私が。

今朝も息子は行きたがりましたが、これ以上自己欺瞞を続けてストレスを溜めるのは良くないと思い、「ママ、H公園は好きじゃないんだ。だから、H公園に行く時は、パパやおばあちゃんとか、別の人と一緒に行ってね」と話を息子にしました。駄々をこねるかなと思ったら、「うん、じゃあT公園に行く」とあっさり言ってくれて拍子抜けしました。その代わり、T公園には、午後におばあちゃんに連れてってもらえることになっています。

ちょっとした不満でも、話してみるもんですね。「良い母親は、子供の願いを叶えてあげるべき」という呪いにかかり、「平日は保育園に行かせて我慢させてるから、休日くらい好きなことをさせてあげたい」と思い込んでいた結果、休日なのにへとへとになってしまう……という現状を、修正していきたいです。

公園でも、今までは息子が絡んで遊びに行った子供の親に挨拶をして、「何歳ですか?」とか、特に興味もない話をして時間を使っていたのですが、無理に話さずに、ボーっと草木を見たり、子供や公園のハトを眺めたりする時間に費やすことにしました。公園を立ち去る際に、笑顔で遊んでくれた子や親に「遊んでいただき、ありがとうございました!」とお礼さえ忘れなければ、最低限の礼儀は果たせていますしね。

また、子供達が熱子に遊んでいる最中に限りますが、音声入力で物を書いたりもしています。無理に公園にいるお母さん達と話す必要はないし、たまたま公園にいたママ(自分が会いたいと思って約束をしているわけではない人)とも話す行為は自己欺瞞だったんだな、と気づくに至りました。おかげで今も子供3人を連れて公園にいるのですが、とても気持ちが楽で、いつものように「早く帰りたい…」と時計ばかり見ていることもないです。

土曜の朝イチで長男の予防接種をしに、長女と次女を連れて小児科に行ったのですが、区役所から届いた用紙を忘れて、予防接種を打つことが出来ませんでした。慌てて家に帰って探しても見当たらず、結局、保健所で再発行してもらわなくてはならないという、トホホな週末の幕開けですが、イラつかずにスタートできそうです笑。

「妙な疲れ」を放っておかない

妙に疲れる時、ありますね。

ストレングス・ファインダーの資質でコミュニケーション上位で、会話をすることが何よりの楽しみなので、積極的に人と話しに行きます。
普段の予定も人と会ったり、人と話せる場所に行くことが多いです。

親しい友人と話しているときは決してないのですが、たまに他人と話したあと、その場所を去る時に、疲れが襲ってくる時があります。
子育て施設や保育園の帰り道で遭遇するお母さん達とのちょっとした雑談だったり、特定の人ではないのですが、帰り道には、なんだか自分の周りだけ雨が降っているかのように、落ち込んでしまいます。

「子育て施設や保育園の帰り道という場所の制約があって、そこから離れられないから、仕方がないことだ」と思っていたんですが、ちょっとずつやめていこうと思います。
子育て施設は頑張って週に一回行ってたんですが、2週間に1回にしたり、行く時は仲いい子を誘って行くなどして、話したくない人と話す時間というのを極力減らして行くつもりです。

保育園の帰り道も、子供を放し飼いにしてしまうから、話したくない人と話す羽目になってしまうんですよね。
子供に「今日はまっすぐ帰ろうね」と言い聞かせて、帰るようにしようと思います。一方で、しゃべりたいお母さんは見つけたら話しかけに行ったりと、一緒に過ごす人間を、自主的に選んでいきます。人と話すこと自体は、大好きなので。むしろ、他人と喋らないと死んでしまう。

今まで、喋りたい人とだけ喋れない状況を「子供がいるから仕方ない。子供の言うことを聞いてあげるのが、いい母親だし。」と自己欺瞞をし続けちゃってました。
その結果、家に帰ってきてどっと疲れて、カフェインやアルコールを摂取したり、砂糖菓子を暴食したり、ネットでとにかく爆買いしたりしていたので、この負のループを断ち切りたいです。
ポチったことを忘れた頃に、家に欲しくないものが届いた時の、あの凄惨たる気持ちたるや・・・美味しくないスナック菓子を食べて、後悔する時間も減らしたいですね。

どうやって折り合いを生きているつけて生きて行こうかな、と思っていたところ、この本に出会い、「子どもも親も、自己欺瞞をせずに生きていくことができるかも」と思うようになってきました。

子どもの心のコーチング - 菅原裕子
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今まで「子供が言うことを聞いてくれない。だから自分が我慢しなければ」と思ったのですが、この本では少し違います。

無理に言うことを聞かせるとか、ルールを作るとか、そういったものではないです。ただ、自分の思い通りの行動をしてくれるまで、じっと待つ。そして、それをやってくれた時に「ママはとっても嬉しいよ」と子供に素直に伝える。何かやって欲しくないことをされた時も、主語をYOUにして「あなたはそれをやるべきではない」と言うではなくて、主語を I にして、「私は、あなたにそれをされるとすごく悲しい」というようなメッセージに変える。命令形ではなくて、Iを主語にすることで、だいぶ感じ方も変わってくるとのことです。

とりあえず、命令形と小言を言わないというのは、頑張ってやってみようと思います。
あと、立ち話でも、「話したくない人から声をかけられた時は、そのまま立ち止まらずに通り過ぎる」というのも知り合いから勧められたのでやってみます。