"怒り"という名のドラゴンを飼いならす
子供のしたことに対して、つい感情的になって怒ってしまいがちです。外から与えられた刺激に対してどう反応するか、という点について、まだまだ未熟なので、特訓しています。
刺激についての反応で思い出すのは、ヴィクトール・フランクルの"夜と霧"です。
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この本の中で、「刺激に対してどう反応するかは、例えユダヤ人収容所という限りなく拘束された場所でも、自由が与えられている」と彼は言います。
一言で言ってしまうと当たり前なのですが、この考え方に至る経緯は尋常ではありません。普通の人ならば心が折れてしまうような壮絶な拷問や過酷な労働などの外からの刺激に対して、フランクルは自分の感情を冷静に対処していきます。
収容所で多い死因として、自殺があるそうです。これは家族や愛する人が亡くなったことに対して絶望したり、重労働や悪い環境に耐え兼ねて起こると言います。フランクルは妻を始めとした家族を失いますが、沈みゆく夕日を美しいと感じたり、ユーモアを忘れずに仲間と支え合ったりして、なんとか生き延びます。
私はと言うと、子供からの刺激に対して主体的になれず、イライラした時に、心の中でドラゴンが火を吹いてしまいます。子供に怒鳴ってしまったり、意地悪なことを言ったり、無理に言うことを聞かせようとしてしまうのです。
子供がしたことに対して怒りという感情が発生することを心と体で理解した上で次の行動をとるといったような、自分の中に住む「感情」というドラゴンを飼いならすため、今まさに頑張っている最中です。今のところできるのは最近やっと2割となったくらいで、残りの8割くらいはカッとなって怒ってしまって自己嫌悪…というのを繰り返しています。
例えば、ご飯の直前に子供がアイスクリーム食べようと勝手に冷蔵庫を漁っていたという事実があるとします。今までは「ご飯前におやつなんて食べないでよ!」と怒って喧嘩になったり「もー、めんどくさいから勝手に食べてて!」と言っておやつを食べさせて夜ご飯を食べてくれなかったり、失敗の連続でした。
最近になって「お腹が空いているからアイスクリームを食べようとしていたんだね、夜ご飯はまだできないから、せめて果物を食べて待っていてね」と話したり、次の日からは保育園から帰ってきたらすぐご飯を食べれる状態にしておくように改善されてきました。
過去の言動は、刺激に主体性を取られてしまったり、子供に主体性を渡してしまった所以だったんですね。自分の感情に対しての主体性を発揮できるように、日々前進していきたいです。
ちなみにヴィクトール·フランクルの"夜と霧"は人生で絶対に読むべき一冊リストの中に入っているので、もしまだ読んでない方いらしたら、是非読んで下さい。