コーヒー1杯分の幸せを作ろう

3児の育休ママが、コーヒー1杯分の時間やお金を作るために役に立ったものたちを、挫折や試行錯誤の経験を交えながら紹介します。

雨の日の電灯(モディリアーニ)

しっとりとした、女の肌のような五月雨が降り続いている。忘れ去ることのできない心の傷のように、濡れた地面には、大小様々な足跡が残っている。

小学生の頃、雨の日が好きだった。独特の匂いが漂う教室で、ぼんやりと青白い光を放つ電灯が特にお気に入りだった。たっぷりと湿気を吸い込んだ廊下に、生徒の上履きが黒ずんだ汚れを転々と残していく。それを見て、「今日、掃除当番でなくて良かった」と胸をなでおろしたものだった。雨天時は、普段は外で行う体育の授業が体育館で行われたりと、日常に変化が出てくる。子供が生まれてからは、外に出かけなくていい免罪符として、雨を理由に嬉々として引きこもっていた。「まあ、雨だからしょうがないよね」と言って予定をいくつもキャンセルし、家の中で何をするでもなく、だらだらと時間を貪っていた。

穏やかであたたかい雨なら良いが、寒空の雨は雪となり、人の心を凍らせる。暖の取れる場所にいる者ばかりでなく、寒い所にいざるを得ない者もいる。

モディリアーニが35歳という若さでこの世を去った時も、雪の降る寒い日だったと言われている。薬物やアルコールとともに放蕩を尽くし、18歳のジャンヌという美術学生の恋人を得て、密月の後に2歳の娘を残して没している。同じ時代に生きたユトリロも同じくアルコール中毒で、モディリアーニと一緒に語られることが多いが、大きく違うのは、母親への眼差しの違いだ。ユトリロは、性にも人生にも自由奔放である母親からの愛情に飢えており、生涯に渡って求め続けた。対してモディリアーニは、幼い頃から親の愛情を一身に受け続けていた。そのためか、彼の人生そのものは悲惨であるが、彼の絵や価値観には底抜けに明るいものが感じられる。優しい母親とジャンヌの存在は、陰気な雨が降る教室で灯された電灯のように、彼の人生を照らし続けたのだろう。モディリアーニの没後すぐ、ぷっつりと電灯の役目を終えたかのように、ジャンヌは、妊娠9ヶ月の身を投げて自殺をしてしまう。残された2歳の娘は親戚中から預かりを拒否され、おばのもとで育つことになった。

どうしても芸術家の一生と聞くと、その悲劇性に目が行きがちである 。哀れな人生なんてないし、順風満帆な一生なんてものも存在しない。人類の歴史なんて、たかだか25万年。一方で恐竜は約1億6000万年も地球に君臨し続けている。恐竜の歴史に比べると、人類の歴史なんてなんともない。その中で「人生の意味」なんてものをこねくり回して創り上げようとするのは、生き物が暇になった、贅沢な証なのかもしれない。

ただ、暇になると、悩みが出てくる。いつまでも達成しない自己実現だとか、親の期待に添えないとか、多かれ少なかれ、頭を抱える瞬間というものは存在する。中学時代、汗っかきの私は制服のブラジャーが透けて見えてしまうこがどうしても嫌で、湿気が多く汗をかきやすい雨の日が、次第に憂鬱になっていた。思春期であった当時は非常に自意識過剰で、クラス中の男子の視線が自分の背中に注がれているような気がしていたのだ。そのため、暑くもないのに、びっしょりと汗をかきながらカーディガンを着たりしていた。

背中の汗だとかくだらない悩みに神経を使わず、自分の選択と集中をするようしたからこそ、モディリアーニは作品を残し、激動の人生を終えたのだろう。自分は、まだ何に選択すべきか、何に集中すべきか、もやもやと迷っている。あれもこれも手を出して、結局、何も成し遂げていない。ただ飯を食らって寝ていても生きてはいけるが、どうしても他人の活躍している情報が目に飛び込んでくる。知人の活躍する姿を指を咥えて見ているよりは、とにかく手を動かしている方が、精神衛生上、良いのだ。我ながら己の嫉妬深い性格には、昔からほとほと手を焼いている。モディリアーニのように、居るだけで場が明るくなるというような人間からは、程遠い。彼は飲み屋で即興で絵を描いて、それを売っていた。プライドも何もないのである。とりあえず酒代とドラッグを仕入れるお金が入ればそれで良く、あとはジャンヌと娘を愛で、そして絵を描いていた。

人生の意味とか悩みとか、そういったことを考えるから、生きるのが複雑になるのかもしれない。地球の生き物はどんどん賢くなっているのか、愚かになっているのか、はたまたどちらなのか。いずれにせよ8私の人生という一つの電灯も、一匹の蛾くらいは引き寄せることができれば良いな、と思う限りである。