コーヒー1杯分の幸せを作ろう

3児の育休ママが、コーヒー1杯分の時間やお金を作るために役に立ったものたちを、挫折や試行錯誤の経験を交えながら紹介します。

ルソーと埋まらない溝

おそらく誰もが持っていると思うが、子供の頃にした不思議な体験というのは、いつまでも覚えているものだ。

小学生の頃、住んでいた家の道を挟んだ斜め向かいに、白い大きな一軒家が立っていた。当時の主流であった2階建てではなく平屋で、贅沢な土地を使い方をしていた。花々が咲き誇る西洋風の庭にはテーブルとベンチがあり、住んでいる人はさぞかし優雅な生活をしているのだろうと、狭いマンションに四人家族で暮らしていた私は、羨ましくてたまらなかった。昔から理想の暮らしを頭の中で描き、その中に身を置いている自分を想像することが趣味であったので、妄想の材料の足しにしようと、近くを通りかかるたびに家の中を覗くのが常であった。

ある金曜日の夕暮れ、母の運転する車に乗り、バレエ教室から帰っていた時のことである。その家の前を通りかかると、全裸のふくよかな白人の女性が、庭に何をするでもなく立っていた。突然の出来事に声も出ず、ひたすら凝視するしかなかったが、彼女は誰かに見られていることを気にもせずに、ただぼんやりと虚空を見つめ、夕日を浴びていた。車に乗っていたので長い時間見ることはできなかったが、確かに裸の女性が庭に出ていたのだ。なぜかそのことを誰にも言ってはいけない気がして、隣にいた妹にも運転した母にも、この出来事は話さないまま、今日まで至っている。

名古屋という地方都市で、高級住宅街と呼ばれる地区に住んでいたせいか、一軒家に住んでいる家はお金持ちで、マンションを含む集合住宅に住んでる家はそんなに裕福ではないという暗黙の了解が、小学校ではあった。我が家はいわゆる中流家庭で、学区がいいから絶対にここに住むべき、という母親による鶴の一一声で引越してきた身だったので、もれなくマンションに住んでいた。

中学校に上がり、他の小学校が一緒になると特に、自分の家は一軒家ではなくてマンションであると知られることがすごく嫌だった。すでに自分の家がマンションだと知っている同じ小学校出身者と違って、他の小学校出身の同級生は自分のことを全く知らない。せっかくのキャラ変のチャンスを逃したくはない。住所を書くときにはマンション名を書かないようにしたりと、幼心えそうなのに涙ぐましい努力をして、一軒家に住んでいないことをばれないようにすることで必死だった。

社会人になって、自宅であるマンションから会社へ通うことになった。ゴルフの際、当時の上司が家まで迎えに来てくれることになった。住んでいる土地を言うと、周りの同僚達が「高級住宅街だ!」と騒ぎ立てるのだが、上司は「でもお前、マンション住まいだろう?」と冷ややかな声で問うてきた。普段は温厚な彼にしては珍しく、どうして急にこんな底意地が悪いことを言う気になったのかは知らないが、小中学校時代の、マンションに住んでいる中流家庭である自分を隠したかった気持ちが、むくむくと湧いてくるのを感じた。

この件をきっかけに、職場では、その白い家にあたかも住んでいるかのように振る舞うことにした。上司からゴルフの迎えに来てもらう時は、白い家の前に来てもらっていた。今思えば住所を伝えてあったので一軒家に住んでいないことなど完全にバレていたと思うのだが、意地みたいなものである。ゴルフのある日は、早朝に、集合時間前に白い家の前に立ち、上司の迎えを待つ。ゴルフの後はその家の前まで送ってもらって、「ここなので。」と言って車を降りていた。上司の車が見えなくなるまで家の前に立ち続け、車が見えなくなると、向かいのマンションへ重いゴルフバッグを引きずって、いそいそと帰っていった。東京へ異動になり、転勤と同時に両親は一軒家へ引越し、皮肉にも夢は叶うのだが、私はそこに住むことはなかった。

ルソーという画家がいる。彼は9人の子供に恵まれるが、うち7名を失くし、妻クレマンスも失っている。税関の税関の職員として働き続け、41才でデビューした、大器晩成の画家である。やっとの思いで絵が認められてきたルソーを主賓として、ピカソがお祝いのためのパーティーを開いた事があった。ルソーは嬉々としてバイオリン持ち込み、自ら作曲した「クレマンスのワルツ」という曲を弾いて見せた。ピカソを含む彼の仲間が、遅すぎるデビューを飾った画家を内心どう思っていたかは、安易に察することができる。ルソーの頭の上には熱い蝋燭が垂らされるというイタズラが行われたが、彼は黙って耐えていたと言う。ルソーは明らかに道化師の役割をさせられていたが、それを知った上で集まりに参加していることを周りに悟られることは、彼のプライドが許さなかった。

彼は、週末だけに絵を描く日曜画家では決してなく、自らの職業として画家と名乗り続けた。詐欺の疑いで裁判所へ召集された時も、「私は画家である」と言って自分の作品を皆の前に出したが、途端に法廷は失笑の渦に飲まれたと言う。周りから目に映る彼は、税関職員を退職し、趣味で絵を書いているどこにでもいるような男にすぎなかった。

私は、彼の気持ちがすごくわかる。自分がこう見られたいという像と現実の間に、あまりに埋められない溝がある。その深淵は暗く、取り返しのつかないほどの年月をかけてできた、決して埋まらない溝だ。少しでもその溝を埋めようと、来る日も来る日も砂を埋め続けるのだが、一向に終わる気配がない。砂をかき集めることは、周りへの虚勢を張って見せることと通じる。

久しぶりに以前の住んでいたマンションの近くを通りかかると、もう今は白い家は取り壊されて、別の新しい家が建っていた。家の趣味から想像するに、おそらく前に住んでいた家族とは別の家族が住んでいるのだろう。現在建っているのは山小屋のような自然の温もりのある家で、以前の西洋趣味の屋敷とは打って変わったしつらえになっている。金曜日の夕暮れに、庭で裸体を晒していた白人のふくよかな女性は、いったい誰だったのか。今はもう知る由もない。