コーヒー1杯分の幸せを作ろう

3児の育休ママが、コーヒー1杯分の時間やお金を作るために役に立ったものたちを、挫折や試行錯誤の経験を交えながら紹介します。

親の責任ビジネス

「親の責任ビジネス」が流行っている。

 

子供の言動で悩んでいる親に向けた、お金を取って相談に乗ってあげたり、解決策を示してあげるビジネスだ。根っこは共通していて、「それは全て親のせい」。共働きで母親が仕事に打ち込みすぎたから愛情不足だとか、下の子が生まれてそっちに意識が行っているから注目されたいだとか、砂糖を含んだ菓子を食べさせているからだとか、まあそういうものだ。

 

この手のビジネスがなぜ成立するかというと、子供には全員必ず親がいるからである。子育てとは暗いトンネルのようなもので、その過程は何処にたどり着くか分からない出口を、小さい灯りを頼りに進んでいくようなものだ。出た先に果たして鬼が出るか蛇が出るか、着いた者にしか見えない景色が広がり、それが出口とも限らない。「子育ての成果」から来る自信は、全て後付け。子育て中の母親にはつけ込むみやすい構造になっている。

 

メディアや著書で大きい顔をして子育てを語っている親は、子育てを完璧に仕上げたという印象を周りに振りまくために「偏差値の高い大学に出ることが、子育ての正解だ」というメッセージを発する。子供を東大に入れたところまではいいけれど、在学中にうつ病になってしまい、卒業後にニートになった......とは、決しては語らない。そもそも偏差値の高い大学を出て大企業に入れることが本当にそれが幸せなのだろうか。「うちの子供はFランの大学出だけど、中小企業で働きながら、好きな漫画で副業をしつつ、生活は決して裕福とは言えないけど、幸せそうですよ」という話は決して表に出てこない。別に、お金が生まれないしね。

 

ここで利害関係のないママ友の存在があれば、話は違ってくる。地域のママ友に悩みを打ち明け、「うちもそうだよ!この前なんていきなりズボン下ろして、裸で駆け回ってたよ!」などと返してもらえれば、「なんだ、みんな同じようなものなのか……(しかも、うちよりマシだな)」と思って、解決にこそはならないが、なんとかやり過ごすことができる。子供を含め、他人は変えることができない。自分の心の持ちようを変えるしかないのだ。

 

また、子育ての悩みは、ほぼ時間が解決してくれると言ってくれてもいい。時間に解決を任せることができない理由は、親が子供を思い通りにできるという思い上がり甚だしいコントロール思考か、ただ、暇だからである。贅沢な悩みとも言える。どうしても外では、周囲の子供のお行儀の良い所ばかり目につく。「どうして、うちの子供だけ、こんなことになっているんだろう……」と、思考の沼にすぶすぶと足を踏み入れてしまい、蜘蛛の巣のように張り巡らされた親の責任ビジネスの罠に嵌ってしまう。子供の性格は55%が遺伝、20%が友達などの環境と言われている。親の影響はたかだか10%くらいだという。その1割を変えようと奮闘するよりも、自分の考え方を変えたほうが早い。

 

ただ、職場と保育園の往復では、利害関係のないママ友と話す機会というのが減っている。コロナの影響もあるだろう。親の責任ビジネスを流行らせるには、うってつけの環境なのである。限られた人間としか交流できない環境を設定するのは、新興宗教の手口と似ており、情報源を信者のみにすることに目的がある。大なり小なり、どこでもこういったことは行われている。

 

本人が幸せで誰にも迷惑をかけていないならいいが、新興宗教や親の責任ビジネスの厄介なところは他人を勧誘したり、独特の世界観を展開するところにある。一言で表すと、ウザい人になるのである。そうすると、もうあとは孤独の迷宮に入り込むしかない。そこで待ち構えているのは、ギリシャ神話の怪物ミノタウルスよりももっと恐ろしい、人間関係を多種多様なものにできなくなる呪いであり、その後の人生に暗い影を落とす。

 

この親の責任ビジネス、誰もが1度は引っかかったことがあるのではないだろうか。妊娠中からすがるように育児書を読み、年齢が高い子供を持つ母親たちが適当な育児をしているのを口で承認しつつ、腹の底では「私は絶対にそんな育て方はしない」と暗い炎を燃やしている。厄介なことに、最近は何の気なしに開いたインターネットやSNSでも、この手の投稿が溢れている。やり方は簡単だ。読者が感じているだろう課題を投稿して、小さな解決策を示してあげる。すると「誰にも話せない自分の悩みも、この人は解決してくれるのかもしれない」という期待を抱かせることができる。なんともせこいビジネスだが、資本主義とはそういうものだ。母親であるということは、SNSを見ると一目瞭然なので、マーケティングもやりやすい。

 

この手の投稿が溢れるようになって、ほぼプライベートのアカウントは見なくなってしまった。「お前の子供の問題行動は、全て母親のせいだ」と言われているようで、疲れるのである。リラックスするためにSNSを見ているのに、「SNSなんて見てる場合じゃないぞ、すぐ子供に対してこんなことをしてあげなさい」と叱責しているような気分になる。

 

この親の責任ビジネスはなくなるどころか、むしろ加速していくと予想している。そうならないためにも、リアルで人と会うということはぜひ、お母さん達にも推奨していきたい。今は子育て支援センターなど、公的な施設も充実してきている。そこで「うちの子だけ劣っているわけでもないし、優れているわけでもない。どれも大して変わらないんだな」という、全く毒にも薬にも、金にもならない思想に行き着くだろう。お母さん達と話した帰り道にコーヒーでも飲んで、子育てと言う暗闇の洞窟を、ゆっくり歩いて行けばいい。足元を照らしたら、夢中で前だけ向いて歩いている時には決して見ることのなかった、可憐な花の存在に気づくことができるかもしれない。