コーヒー1杯分の幸せを作ろう

3児の育休ママが、コーヒー1杯分の時間やお金を作るために役に立ったものたちを、挫折や試行錯誤の経験を交えながら紹介します。

コントロールできるという勘違い(育児)

息子が2歳の夏、こんなことがあった。


渋谷の東急百貨店に用があり、渋谷駅から出ているシャトルバスに乗ろうとするも、ちょうどバスが出てしまい、息子と待合室で待つ羽目になった。狭い待合室に入ると、既に1人、おばあさんが座っていた。


その待合室で息子が、1番から10番まで書かれた座席のうち、4番に座った。おばあさんは「2番目に来たのだから、2番の席に座りなさい」と注意してきた。


おばあさん曰く、私達は2番目に来たのだから、2番に座るべきで、4番のとこに座るべきではないという。1番のところに座るなら、順番抜かしをしているので、悪いことをしているというのはわかる。でも、4番に座ることで、他人の人権を侵害したり、法律を犯したりしているだろうか。


息子に注意をすると、じゃあ5番の席、だめなら6番…と、2番に座る気配はない。それもそうだ。1番の席には、隣りにすごい剣幕で怒っているおばあさんがいるのだから。しかも太っており、2番の席はかなり狭い。


すると「あなた、東京の人じゃないでしょう!子供をしつけることもできないなんて!母親がしっかりしないから、こうなるのよ!」と怒鳴り出した。言い争うのも面倒なので、待合室を去り、炎天下の中、ベビーカーを押して、歩いて向かった。


例が極端だが、これは都会の人が、母親に対して共通して抱いている感情だろう。彼らは子供のことを、どこにいても大人しく、静かにするよう、コントロールできるものであると信じている。それをできない親は、単に能力がないだけだ、とも。


妊活という言葉も、まるで下品で仕方がない。子は授かりもの、という考え方はどこへ行ったのか。まるで妊娠も自分でコントロールできるかのような素振りに、いい加減、神様も怒るんじゃないか。


子供に恵まれる、という言葉通り、妊娠は天からの恵みであったはずだ。そうではなくて、体を温めるとか、特殊な食べ物をとるとか、そんなことで妊娠をコントロールできるのだろうか。何より嫌なのは、まるで妊娠をしない人は努力を怠ったから、妊活をしなかったからという風潮だ。特定の日に妊娠のためだけに性行為をする、というのも品がない。だから余計に、少子化になるんじゃないか。


都市部で生まれ育った人は、世の中の全ては自分でコントロールできると思い込んでいる。育児も例外ではない。だから幼児教室へ行かせて、有名私立中学から国立大学を目指し、英語を習わせてネイティブのように話させようとする。育児本を熱心に読んで、食べ物の好き嫌いなく、夜通し眠る子に仕立てようとする。


鬱病やキレる若者が増えているというのは、そんな親に育てられた子供が、自分のことは自分でコントロールできると思い込んだまま、大人になってしまったからではないだろうか。


人間がコントロールできないものなど、いくらでもある。それは実際に、人間によって作られていないもの触れてみないと分からない。だから都会で育っている人間は、せめて自然に触れた方がいい。まぁしょうがないよね、とか、そういう日もあるよ、という考えを身につけないまま大人になると、ふとしたことで崩れてしまう脆い人間になりかねない。


子供も、コントロールのきかない、自然のようなものだ。庭のように適度に手入れをして、雑草を取ったり、その程度でいい。あとは遺伝子と環境、具体的に言うと周りの友達で決まる。


息子が0歳の頃、実家でどうしても泣き止まなかったことがあった。抱っこで寝かせると抱き癖がつくとか、1日○時間は寝ないといけないのにまだ寝ていないとか、育児本で読んだことを思い出しながら、イライラしながら抱っこをしていた。すると横で見ていた祖母は「まっ、今日は寝ない日なんだわ。そんな日もあるがな。散歩でも行くかね」と言い、息子をおんぶして、出かけて行った。こころがふっと軽くなったことを覚えている。


あれから3年。息子は今年で3歳になるが、相変わらず予想外の動きをし続けている。1日に何回も牛乳を零し、米びつから米をぶちまけ、過保護そうなママの子供を叩く。


怒りだしそうになるのをぐっと堪えて、「そんな日もあるがな」と言い聞かせている。

 

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