コーヒー1杯分の幸せを作ろう

3児の育休ママが、コーヒー1杯分の時間やお金を作るために役に立ったものたちを、挫折や試行錯誤の経験を交えながら紹介します。

すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる

雨が降りしきる午前中とは打って変わり、晴れ間が見える午後。
その日は昼過ぎから、次女の面倒を見にシッターさんが来てくれていた。

これはいつも行列ができている整形外科が空いていて、比較的並ばずに済むチャンスかもしれない。
前の記事で散々文句を言っていたくせに、結局いつもの整形外科に行ってきた。

そこで、なるほどな、と腹落ちする話を聞いた。

六本木のブックファーストに、腰痛のベストセラー本が置いてある。そこに”テニスボール二つを腰にあててグリグリすると腰痛が改善する”と書かれており、信じて実行していた。

しかし、理学療法士さんによると、これはふくらはぎが硬くなったことが原因で腰痛を引き起こしている人のみに効く方法らしい。
私のような母親業をやっている人間におては、出産や授乳による前屈みの姿勢が続いて、腹筋が弱くなって、それに伴って腰痛が引き起こされている。だから、このテニスボールぐりぐり法は意味がないと、ばっさりと言われてしまった。 すぐに効果がある、という謳い文句に飛びついた結果、遠回りをしていた。


役に立つものも、役に立たないものも世の中にはあふれている。日本人は格付けやランキングが大好きな国民性と言われているが、自分で役に立つかどうか考えることの放棄につながっていないだろうか。ベストセラーの腰痛本に飛びついたお前が言うな、という話だが。

とはいえ、情報とは無縁では生きられない。自分で選択していくしかないのだが、どうも最短距離を現代人は行こうとしすぎる。妊娠した友人からはよく、こんなに街のことを自分は知らなかったのかと驚く、と聞く。普段は足早に駅と自分の家を行き来するだけだったのが、妊娠して自転車に乗れなくなり、のんびり歩いていたりすると、思わぬ発見に出会ったりするんだとか。

これは効率的ではないし、意味のあるものでもない。だが、そういったものを人間から取って行くと、何が残るんだろう。

以前、読んだ本を YouTube で紹介していたら、研究職の夫から「正直あんまり教養がある人がやる行為じゃないよね」と言われた。研究者からすると、本なんて100冊、あるいは1000冊読んでやっと、読むに値する本に出会えると言う。残りの99冊を読んだことが無駄かというと、そう考えてはいないらしい。役に立つものしか読まなかったり、読んだ本を全て紹介したりする行為がきっと、浅はかに見えたのだと思う。確かに他人に紹介することを軸においての読書は、楽しくなかった。実用書を読むのを止め、エッセイや小説といった、役にも立たないものを選んでいると、本を読む喜びを思い出せた。

人生も、そのようなものなのかもしれない。これって結局自分にとって何の役に立つんだろうということばかりを考えていると、きっとつまらない人間になる。

散々文句を言っていた整形外科でだけど、なじみの理学療法士さんと話ができて、まあそれはそれでお金払う価値もあるのかもな、と思い直すことができた。他にやることもないし。

しかし、保育園の迎えには大幅に遅刻。保育士さんに大目玉をくらった。遅刻癖が昔からひどいせいで学生の頃には先生に怒られていたが、大人になっても同じ理由でよく怒られている。そういえば、雨が上がった後に、なぜかよく遅刻していたっけ。そんなことを思い出した、雨上がりの夕暮れだった。