コーヒー1杯分の幸せを作ろう

3児の育休ママが、コーヒー1杯分の時間やお金を作るために役に立ったものたちを、挫折や試行錯誤の経験を交えながら紹介します。

子供に英語をやらせるな

子供に英語を習わせることが流行っているらしい。


「これからはグローバルの時代だから英語をやらなきゃね」と、習わせている親は言う。


彼らの根底にに共通して存在するのは、自分が英語を喋れないから子供にできるようになって欲しいという思いだ。英語さえ話せれば、自分よりも良い人生を送れるようになってくれるだろう、と思っている。これは、自分が持ってないものを子供には手に入れて欲しいという親の本能であり、人によってそれは学歴であったり、財産であったりする。否定するつもりはない。愛情あってのことで素晴らしいことである。


ただし、その親が持ってなくて子供が幸せになるために必要なものは、間違いなく英語ではない。それは完全に英語のビジネスに踊らされている。もっと言ってしまうと、その親が持つべきものは、論理的思考力だ。英語が喋れたところで、考えていることがすっからかんで、日本のことをてんで分かっていないのでは意味がない。


自分は英語は不自由なく話せるし、海外生活の経験もあるのだが、小学生以下の子供に英語を習わせることは大反対だ。大学を出るまでに英語で書かれた本を1冊読める程度になってれば良い。中学生から始めても遅くはない。あとは状況に応じて勉強すれば、取得することなんて、いつでもできる。


もちろん日常生活も英語で、授業を英語でやって、英語圏に住んでいるからまた別の話だ。ただ日本で住んでいる限り、英語をやるのはまるで意味が無い。ましてや週に1回ネイティブの先生が教室に行ってなんとなく過ごすというのは、英語の習得という意味でも皆無だし、金銭的負担、そこで予定を縛られるデメリットの方が大きい。


子供は時間あるから、と言うが、その時間は遊ばせておけばいい。大事な時間だ。というか、あんなに遊ぶことができるのは子供の時分だけだ。遊びを子どもから奪ってしまって、他をやれ、英語だお稽古事だとさせていると、子供は息が詰まる。


子供は外国語の他に、学ぶことがたくさんある。宇宙はどうなっているんだろうと満天の星空を見て思いを馳せたり、この虫はなんだろうと図鑑を見たり、好きな漫画を楽しめば良い。せっかく学校以外で学べる時間や教材がたくさんあるのに、英語にわざわざ時間と労力を割くのがもったいない。


とはいえ、大人になってから、英語で書かれた情報を読めたり、ネイティブと話せるようになって欲しい、と考える人がいるかもしれない。でも、その情報を英語で読めることや話せること以上に、その情報が本当に自分に合っているかどうか、話している内容はどうかなど、思考力を磨くことがまずは大事だ。


まずは母国語で自分の頭でしっかり考える。そのために数多くの本を読む。古文を読んで恋愛観や無常感を味わい、「昔の人も今の人も、大して考えていくことは変わらないんだな。ということは、物事の本質は……」ということを知るのもいい。そういった基盤となる知見を、まず母国語で学ぶとべきだ。


これはいつ役に立つんだろう、と分からないようなモノを学べる、これが子供時代の醍醐味だ。


世界で戦える人間になるようにと考え英語をやらせるのは、かえって世界で戦えるようにならない。「発音は良いけど、考えている中身はまるでないよね」というような残念な子供に育ってしまう。英語はできるけど考えていることが稚拙だという人は多く、年々、増えている。


そんな思考や知識は大人になってから学べばいいだろうと思うかもしれないが、三分で身につく~、これだけ読めば分かる~というようなハウツー本は、すぐに読めるし習得できるが、すぐに役に立たなくなる。


すぐに習得できるものは、別に子供の時にやらせることはない。子供達はいつ役に立つのだろうと分からないようなものも含め好きなことをとりあえずやらせておけばいい。


日本の翻訳文化は、世界に誇るものがある。これまで知的資源に英語ができなくても触れることができたのは、このお陰だ。つまり、せっかく昔の人がわざわざ翻訳できなくても暮らせるように工夫をしてくれたのに、そこを逆に戻ることはない。


子供に英語を習わせるなんてアホなことが、これからは流行らないことを願う。小学校の必修にさせるのも、本当にセンスがない。これは日本の国力衰退を狙ったアメリカの政策に、完全に踊らされてるなという印象でしかない。


元来、英語を習わせるのは親の好き嫌いであったはずだ。いつから必修科目にさせようなんて馬鹿げた動きがあったかは知らないが、お粗末としか言いようがない。


真の国際人というのは、日本のことを自分の言葉で、きちんと説明できる人であることなのだから。

 

#子育て #育児 #英語