コーヒー1杯分の幸せを作ろう

3児の育休ママが、コーヒー1杯分の時間やお金を作るために役に立ったものたちを、挫折や試行錯誤の経験を交えながら紹介します。

【雑談】短歌や小歌も悪くない

【お正月には百人一首や短歌を読み返しませんか?】


白露も 夢もこの世も 幻も
たとへていへば 久しかりけり
和泉式部


「白露、夢、この世、幻は、はかない瞬時の例えですが、短い逢瀬に比べれば、これらは全て、久しいものに感じます。」


この歌には「露ばかり あひ見そめたる 男のもとへ」と言う前書きがあります。ほんの短い逢瀬しかしなかった男へ、恋しいという想いの丈を歌っているものです。

 

勝間和代さんも、メールマガジンで、お正月は少し日常から離れて、ゆっくり読書をしたり、先のことを考えたりするのに、とても良い機会だ、と言っていましたね。


お正月と言えば百人一首なので、久しぶりに短歌に詳しい、おおおか まことさんのエッセイを読み返すと、なんともまぁ趣がある歌がたくさん紹介されているではありませんか。


中学、高校の古文の授業で短歌は散々読んだのですが、こんな短歌があることは、覚えていませんでした。と言うのも、万葉集源氏物語などの恋愛ものが、当時はどうも苦手でした。自分に恋愛が経験がなかったからだと思います。当時は、松尾芭蕉とか鴨長明とかの、無常観が好きでした。今は、なんか辛気臭いことを言っているジジイだな、という印象になってしまっています。


色んな経験を経て、当時好きだった歌と、今好きな歌が、結構様変わりしていて面白いです。良い本というのは読むたびに感想や感動するところが変わるものですが、短歌や俳句も、同じようなものなのかもしれません。


和泉式部のような貴族の歌とは一転、こちらは港町の荒くれ者が詠んだ歌ですが、こちらもなんとも言えない、陽気で力強い小歌です。


何せうぞ くすんで 一期(いちご)は夢よ ただ狂え
閑吟集


「何だ何だ、真面目くさって。人生なんぞ幻よ、狂え狂え。」


狂う、とは、取り付かれたように我を忘れて何かに没頭することです。


中世以降の歌には無常観という太い底流がありますが、この歌はそれを端的に吐露しています。


鴨長明のように、出世できなかったから、山にこもってうじうじと嫉妬している、でもなかなか俗世への思いが捨てきれなくて、ジレンマを抱えている、その歌とは少し違います。


ただ、狂え、の一語には、無常観が反転して享楽主義すぎとなる、不思議なエネルギーを発散しているようです。


お正月には万葉集や短歌、古典を読み返してみるのオススメです。昔そんなに響かなかったものも、お、意外といいじゃん、これ。と感じるようになるかもしれません。