コーヒー1杯分の幸せを作ろう

3児の育休ママが、コーヒー1杯分の時間やお金を作るために役に立ったものたちを、挫折や試行錯誤の経験を交えながら紹介します。

産後の抜け殻

ゴールデンウィークなので、実家に帰省している。今朝は洗濯の量に比較的余裕があったので、仕事で疲れて寝ている妹の分も洗濯することにした。

 

妹は両親と同居しているが洗濯するタイミングを分けており、週に一度まとめて洗濯をしている。改めて、洗濯が1週間に1度で済むという事実と、洗濯物の量の少なさに驚いた。普段家族5人分の洗濯を毎日しているので、1人分だた洗濯の量が1/5となることは、当たり前っちゃ当たり前なのだが、もう一人で生活していた頃の時分など、どんな暮らしぶりだったか忘れてしまった。

 

将来、子供が巣立って夫に旅立たれた際は、洗濯の頻度は格段に減るのだろう。ご飯の量も一人分で済む。家事育児に時間が取られなくなる分、今これだけ渇望している自分一人の時間も、たっぷりと取れる。どうしても好きになれない洗濯物畳みや、食洗機から食器を元に戻す作業への倦怠感も、だいぶましになるのだろうか。

 

まあ、時間ができたらできたで孫の面倒を見たり、ボランティアをやったりと、結局は働いている気がする。人間というのはよくできていて、何かをしてあげている時に、喜びを感じる生き物なのだ。だからこそ、生き残ってこれたのかもしれない。

 

誰も言わないが、育児も家事も、ものすごくコスパの悪い仕事だ。何も返ってこないどころか、身体も精神も気が付かない間に蝕まれてしまう。その口は母性という名の糸で縫われてしまい、どこにも吐き出す場所がない。加えて、何かしら社会で働くことを求めるメッセージを、政府の代弁者であるメディアは訴え続ける。

 

以前読んだ本で「女は子供を産むと抜け殻になる。」と書いてあった。本当にその通りだなと思う。その抜け殻に鞭を打って働けというのは、近頃よく聞く“働く女性”という言葉に代表される。

 

抜け殻らしく、木に止まって子供の成長を見守ることにする。せめて実家にいる間だけは、そのように暮らさせてもらう。朝5時に起きて庭の雑草を抜いては埋める、という行為を繰り返す長男を見つめながら、そんなことを考えた。